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里山の歴史は、古くからアイヌの人たちが生活していた昔にさかのぼります。
その昔、先住民族のアイヌの人たちはイオル(猟場)から生活に必要なものを手に入れました。白老コタン(集落)の人たちは白老川、ウヨロ川流域をイオルとして衣食住にかかわる動物を獲り、植物を採取しました。川にそ上するサケや、原野に生息するシカは重要な食料でした。
ウヨロ川の中流にはカッケンハッタリ(カワガラスの淵)と名づけられたサケの漁場があります。毎年秋、ここではそ上してきたサケを捕り、サッチェプ(干しサケ)をつくり、保存食にしました。今も多くのサケがそ上してきます。
ウヨロ川左岸の石山地区には大正から昭和にかけて開拓のために多くの人が入植しました。茅(カヤ)と雑木林におおわれた土地の開拓は困難をきわめ、寝る間も惜しんで木の根の抜根に精力を傾けました。
最初に手がけたのは炭焼き、次に馬の生産。当時は軍馬としての供給が盛んでした。軍馬の需要が減ると、乳牛を飼い始めましたが、飼料の干し草の確保に悩まされたといいます。
昭和29年(1954年)、島根県から白老町へ肉用の黒毛和牛が導入されると、畜産は肉牛の生産に切り替わりました。
入植者は当初、川の水を飲み水にし、ウグイやヤマメなどの川魚を獲って保存食にしました。干し魚にして不自由なく食べたといいます。米の飯は年越しや、お祭り、運動会に限り、普段はアワ、ヒエ、デントコーン、麦とまぜて食べました。
白老町の里山に入ると、いたる所で昔木炭を生産した炭焼き窯の跡を見つけることができます。
木炭の生産は明治40年(1907年)頃から始まり、開拓に入植した人たちは、まず原生林を伐採して炭焼きで現金収入を得ました。その後も30〜40年毎に、切り株のひこばえ(萌芽)から成長した雑木を伐採しながら、炭焼きが継続されました。
その当時の木炭は燃料として生活必需物資でした。白老周辺の胆振地方の木炭はナラ炭と呼ばれ、コナラ、ミズナラなどを主とした広葉樹の品質の良い製品が多く、鉄道で本州に送られたそうです。
現在の白老町石山の里山は、色々な土地利用がなされています。
雑木林がそのまま残されている所も多く、萩の里自然公園は約200haの里山が保全されていますが、その周辺は温泉付き分譲地として住宅地になっています。
人工的に植林された所もあり、40年ほど前に主にカラマツが植えられましたが、間伐などの育林がされず放置されており、森林の手入れが課題となっています。
農業では、平地や緩やかな傾斜地は和牛の放牧地や馬の牧場で利用されています。

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